旧東海道三十七番目の宿場、藤川宿(愛知県岡崎市藤川町)は、江戸時代の盛期には百棟以上の町家が軒を連ねていました。しかし、現存する伝統町家は僅かです。米屋( 旧野村家住宅)は、天保年間(約160年前)の建築であり、江戸時代には穀物商として栄えました。昭和期には、薬局を営み、これに伴う改修が行われていました。
米屋は藤川宿において当時の建築様式を留める数少ない町家建築で、2013年に岡崎市の重要景観建造物の指定を受けました。宿場町の風情を感じさせてくれる貴重な建物ですが、破損や老朽化が進行し、また昭和期の改修により江戸期の面影を感じにくい状況となっており、修繕は急務でした。
そこで、藤川まちづくり協議会、愛知産業大学、岡崎市職員、建物所有者などで「米屋懇談会」を組織し、改修工事の計画策定、作業、関係者間の調整などにあたりました。近隣の藤川小学校は、地域の歴史を活かした教育に積極的に取り組んでおり、イベントなどを連携して行いました。
改修は、2014年2月より3期にわけて行いました。Ⅰ期(2014年2月)では、薬局を営むために行った外部看板部分を撤去し、江戸時代の外観に近づける作業を行い、Ⅱ期(2014年3月)では、ミセの内装復原作業を行いました。Ⅲ期(2014年10月~2015年2月)では、通りニワの内装復元作業、浴室解体作業などを行いました。
外部の改修(Ⅰ期) 2014年2月
薬局を営むために行った昭和の改修部分を撤去し、江戸時代の外観に近づけることを目標としました。外観の修景にあたり、現状の実測調査、同じ街道筋に残る伝統町家の調査、住民への聞き取り調査などを学生とともに行いました。聞き取り調査から、もとは現在の入口の左手部分に大戸があり、通りニワを介して建物裏手の土蔵に穀物を大八車で運び入れていたことなどがわかりました。また2階のガラス窓の部分は、かつて漆喰に覆われた虫籠窓だったなどの情報もありました。
改修前の様子
薬局当時の看板囲いを取り外した状態
柱を立て、桁を架けました
現存していた格子寸法を参照し、米屋格子(穀物商の居宅に多く用いられた太めの格子)を取り付ける作業を行いました。
小学生が参加できるプログラムとして、板庇の裏側に記念のメッセージを記入し、自然系の塗料で塗装するワークショップを行いました。同じ街道筋に残る伝統町家(銭屋)を参考に、板庇とし、自然系の塗料で塗装しました。
ミセの内装改修(Ⅱ期)2014年3月
ミセ部分の内装工事は、市民と学生が協力して天井板を剥がす作業をまず行いました。さらに学生が、後付けされていた壁の解体、壁を覆っていた化粧ベニヤを剥がす作業などを行いました。壁の欠損部分については土壁を塗り、ボード下地となる部分には砂漆喰を塗りました。
痕跡などからミセ部分はかつては床が貼られていたことがわかりました。薬局時代の調剤室が残されており、完成後のサービススペースとしてこれを残しました。
昭和期に覆われた天井や壁を剥がすと、江戸期の立派な梁や柱、味わい深い土壁が現れます。数多くの細かい釘や配線を取り除き、雑巾で拭きあげることで、江戸時代の空間に引き戻すことができました。空間要素の時代を整え、設えをすることで空間が変化することは学生にとって新鮮で貴重な経験でした。レトロな照明器具を取り付け、学生が製作した販売テーブル、デザインした暖簾などを吊るすなど、意匠面での工夫を行いました。
ファサードが蘇り、子どもたちが参加するプロセスを経ることなどで、多くの住民が関心をもって訪れ、喜びを口にされていました。
暖簾のデザインは愛知産業大学デザイン学科の学生が行いました
軒裏に、子どもたちのメッセージを見ることができます
薬局時代の看板と薬局の窓口
2014 年度 改修工事
通りニワの部分には、昭和期の台所、食堂が残されていた。外部に増築された浴室との屋根の谷間で雨漏りがひどいため、浴室、台所、食堂を撤去し、室内空間を復元する作業を行いました。
昭和の増築部分を解体しました。
土間床を三和土(タタキ)に戻すため、消石灰、にがり、現地の土を用いての作業を学生が行いました。
土間の一部にモルタルでサークルをつくり、小学生などが参加して記念のワークショップを行いました。
タタキで復原された床
江戸時代の力強い梁組みが現れました。
参加者の手形が押された床面